就活3部作も終了し、何を書こうかと考えていたのだが
今日は「唄」について。


僕は中学・高校時代から良く音楽を聴いていた。
時系列に沿って追ってみると
HR/HM/グランジ/オルタナ/メロコア/スカコア/
ハードコア/ミクスチャー・・・
大学に入ってからはまわりのクラブ人口影響も受け、
クラブミュージックを中心に聴いていった。
テクノ/ハウス/ビッグビート/ドラムンベース
トランス/ヒップホップ/アブストラクト・・・


とりわけ1〜2年前はインスト中心の音源ばかりを聴いていた。
唄モノもないことはないが、数ある音の要素のうちの一つとしての
「声」を意識して聴いていたように思える。
「HA−」「UH−」とかばっか言ってる音源である。
上記のような順でジャンルを経験していったためか、
どんどん「どれだけ心地の良い音か?」ということが、
僕の中での音楽選定基準になっていったのだと思う。
当然そこを意識して音源作りをしている
クラブミュージックに偏っていった。

「唄」って中途半端だと思っていた。
音学や声学的にいっても中途半端な位置にあるし、
詩の内容にしたって文学や哲学の先端に比べれば
どうしても音楽的、スペース的制限から中途半端になってしまう。
加えてここ最近はずっとそうだが、
曲に詩をこじつけたり、詩に曲をこじつけたりするようなものばかりが
ヒットチャートを賑わしていたため、
それだったらどっちかにすれば良いのにと思っていた


ところがここ数ヶ月でまた「唄」をよく聴くようになった。

「見ろあの夕焼けを美しい  上昇し続けることはできなくても」
(放浪カモメはどこまでも/SPITZ)

この部分をきいて思わず泣きそうになった。
活字だけ見ればベタなセリフだ。
音、空間、声質、メロディー、そのアーティストの持つ歴史、
そして今聴いてる人間の心の状態。
全てが満たされたとき初めて成立するこの感動。

他にもあるが、いくつかあげてみると、

「愛し合おう 誰よりも 水溜りは 希望を 映している」
(ワンダーフォーゲル/くるり)
「僕らいつも 考えて忘れて どこまでもゆける」
(ワ―ルズエンド・スーパーノヴァ/くるり)
「ちょっとだけ困ってる JUICY FRUITS 一言で言えたね」
(今夜はブギ―パック/小沢健二)
「この世界に一つだけ 君は世界に一人だけ」
(ONE/RIPSLYME)

これらの音源を聴いてみればわかる。
「唄」っていろんな要素の上に乗っかって
「詩・主張」を聞き手にやさしく叩きこむものだって。
そう取ることによって大分感動すべき事項が増えてくる。


いまさら「唄」の良さについて認識するとは・・・
音楽について少し頭でっかちになってたかもね。
僕も、あと大した根拠もなく
「もう唄モノはいらない」っていってるミュージックフリークも・・・

あっ、僕に関しては今もか・・・


「でも放浪カモメはどこまでも 
 恥ずかしい日々腰に巻きつけて風に逆らうのさ」
(放浪カモメはどこまでも/SPITZ)

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